名古屋高等裁判所 昭和29年(く)27号 決定 1955年1月13日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告申立の趣意は、検察官の抗告申立書を引用するが、その旨は被告人林弘は、詐欺罪につき常習性があつて、逃走の虞れもあり、罪証隠滅の虞れもあると謂うにある。
よつて案ずるに、被告人林弘が本件保釈許可決定になつた事件の公訴事実は「被告人林は、長谷川四郎、鈴木幸一と共謀の上、昭和二十九年八月二十四日頃、一宮市宮通り四丁目十八番地糸商市川久芳方において、同人に対し、真実糸を売却する事もなく意思もないのに、これあるように装つて「糸を買つてもらいたいが、これから約一時間後には運んでくるから、先に金を渡してくれと虚構の事実を申し向けて、同人を欺瞞し、即時同人から現金三万円の交付を受けてこれを騙取した」と謂うにあつて、この事件について、被告人林は、昭和二十九年九月二十日逮捕され、同月二十二日勾留、同月三十日起訴され、同年十二月二十日保釈保証金二万円で、保釈許可決定となつたものであることは、本件抗告記録並に被告人林の刑事記録によつて明らかである。而して、右刑事記録によれば、右事件は、第一審で審理中であつて、被告人林は、公判廷で、右公訴事実のみならず、これと併合審理せられている他の公訴事実も全部自白し、検察官から証拠調請求があつた証拠書類については、総て、証拠とすることに同意していることが認められるから、右各公訴事実に関する限りにおいては、被告人林に対しては、もはや多くの証拠を必としないものと思料せられる。右の状況であるから、被告人林が証拠を隠滅する虞れはないものと謂わねばならない。又本件抗告記録によれば、被告人林は、本件を含め、十六個に亘る詐欺の犯罪があるとして、起訴せられていることが明らかであるが、本件抗告によつて、問題となつている勾留、保釈は、前記三万円、騙取の一罪であるから他の事件について罪証隠滅の虞れがあるかどうかを本件保釈について考慮することができないものである。他の事件について保釈を許し難い事情があれば、その事件について、新たに勾留するとか保釈取消の申立をすれば足るものであつて、その事件のため、本件保釈を非難するのは、正当ではない。更に他の事件の多くは、昭和二十七年中の犯罪であつて、その中、勾留せられているのは、二件に過ぎないのであつて、その事件についても既に保釈許可となつているのである。若し検察官が被告人林に詐欺罪について常習性がありと思料したならば、本件抗告になつている事件の直前に為された保釈許可決定について、不服の申立をしなかつたり、又は、他の多くの事件について、勾留を請求しなかつたのは、理解し難いところであつて、本件の三万円の詐欺事件についてのみ保釈許可に不服申立をしたのは納得し難い態度と謂わねばならない。更に被告人林に他に別件の十五件の詐欺事件があつたとしても、被告人林に常習性があるかどうかは、右十五件について有罪無罪の判断ができない以上、即断し難いところである。
被告人林が別件で保釈中、犯罪を犯したり、一時所在をくらましたことがあつて、再犯の虞れ又は逃走の虞れがあつても、権利保釈を認める障害となるものではない。以上の次第、原裁判所が、被告人林について、刑事訴訟法第八十九条により、権利保釈を認めたことが違法であつたとは認め難い。又被告人林には、前科なく、住所は明らかであるし、家庭には、妻の外四名の娘があり、母親林てつが被告人の身許を引受けているから、権利保釈でなく、裁量保釈を許容することも不当であるとは思料せられないから、本件抗告は、理由がないものとして、棄却すべきものである。よつて刑事訴訟法第四百二十六条第一項により、主文の通り決定する。
(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 赤間鎮雄)